ぎねおの経歴とブログを始めた理由
某国立大学医学部医学科を卒業後、愛知県内の某総合病院で研修医として入職し、医師人生をスタート。超絶怒涛にハードな救急医療を中心に各診療科で研鑽し、2年間の研修医生活で医師としての基礎を築きました。
もう戻りたくない、あのつらかった日々 (笑)
ただ、あれがあったから今のちゃんとやれている自分があるのも事実。
研修医のときにお世話になった産婦人科の部長が、肌が浅黒くてエネルギッシュでそれはそれはたくましく、それでいてだれにでもとても優しい、人望の厚い人でした。
「こんな人がいる環境で働いてみたいなー」
と思ったのが産婦人科医になることを決めた1つのきっかけです。
その他にもいろいろ考えましたが、研修修了後、同じ総合病院で浅黒い部長の元、産婦人科医として新たな道を歩むことにしました。
産婦人科医になりたての頃に一番とまどったのは、患者さんは女性ばっかりで、外来も病棟も一緒に働くスタッフが産婦人科医以外はみんな女性、という特殊な環境で働く、ということでした。
ですが、今はもう産婦人科という環境に溶けこみすぎて、男性の患者を診ろ、と言われたらちょっと緊張してしまうくらいになっております。
産婦人科医は日本産科婦人科学会に所属し、まずは専攻医として3年間の修練をして産婦人科医としての一般的な基礎(主に妊娠やお産について、婦人科がんについて、不妊について、その他女性特有の病気について)を身に着けてから、専門医試験を合格し、晴れて産婦人科専門医になることができます。
浅黒部長は実践主義で、「なんでも早いうちに経験させる」という指導方針でした。なので、難しい癌の患者さんや複雑な事情のある妊婦さんを1年目の専攻医のときから任されることになりました。もちろん、部長の監督下ですよ。
毎日がとってもハードで心も体もぶっこわれるのではないか、と何回か思ったこともありましたが、部長のきびしくもやさしい教育のおかげで、早熟で責任感のある産婦人科医に成長することができ、無事に産婦人科専門医を取得しました。
専攻医のときに経験した、最も心に残っている患者さんがいます。
子宮頸がんの1人の患者さんです。
若くして子宮頸がんを発症して、手術をし、放射線治療、抗癌剤治療を行いましたが、再発してしまい、骨盤内蔵全摘術というとても大きな手術をしましたが、残念ながらまた再発してしまい、痛みや精神的苦痛をやわらげるため緩和ケア治療を行いました。
つらい治療をがんばって乗り越えてきましたが、ある日、ついに亡くなってしまいました。
私は、患者の母親の前で死亡診断をし、死亡を宣告しました。
私は、1人の医師としてこの悔しかった経験を忘れないため、このブログを始めることにしました。
子宮頸がんは20~40歳台に多いという特徴を持つがんです。なので、若くして闘病を余儀なくされたり、親や夫、まだ小さいお子さんを残して亡くなってしまったりする患者さんが、たくさんいます。
ささやかでもいいから、子宮頸がんや子宮がん検診に悩まされている人たちやその家族・パートナー、子宮頸がんに関心がある人たちの役にたてればいいな、そう思います。